さきほど退院してきました。
ちょっと長期にわたり入院しておりました。
まだ療養中ですが、ぼちぼち復帰できればと考えています。
こんなこともあるえるんだと、参考になればと思い、備忘として記録しておこうかと思います。
まあ、いつもと違う症状があったら、病院で相談しましょう。今回の主治医の先生から、
「発症が救急病棟の中でよかった。あれが外だったら、どうなってたかわからん」
と言われましたし。大事になる前に、手助けを得やすい場所にいるのは、本当に大事です。
6/21
シンガポール出張から夜行便で帰国。特に体調に問題は無し。
6/22
発熱、頭痛、倦怠感を感じる。内科外来に通院、維持液の点滴と一般的な抗生物質の投与開始。
6/23
発熱、頭痛、収まらず、悪化。再び通院するも、点滴のみの処置。抗生物質の効果は見られない。
6/24
早朝。倦怠感がさらに悪化し、救急に連絡の上、救急病棟に入る。午前五時ごろ。
午前7時ごろ、言語障害。言われていることはわかるものの、答えられなくなる。
CT検査の結果異常なし。MRI検査の結果異常なし。
腰椎穿刺による髄膜検査の結果、細胞数異常。髄膜炎を疑い、抗生物質の治療開始
このへんから、本人の記憶はあいまい。ICUに放り込まれる。両親呼ばれたらしい。
「性格変わるかもしれません」と言われたらしい。
右半身失認など。
6/25
ほぼ記憶がない。
父親が来て、なんかしゃべったっぽい。
言語療法士の人に、文字を書いてと言われて、かけない。
右手が右手である感覚がない。右手を動かすことはできるが、それが右手である感覚がない。
点滴の留置針の固定がだんだん強固になっていく(本人が引っこ抜きまくってたらしい)
ICUの看護師さんによれば、引っこ抜いたのはそれだけじゃないそうな。ごめんなさい。
6/26
昼くらいに意識が戻る。
質問に回答できるようになる。文字がゆっくりだが読み書きできるようになる。
とろみつきの流動食に文句を言うようになる(自分がどんな状態だったか認識してない)。
夕方に、無理言ってiPhoneを持ってきてもらい、翌日やるはずだったワークショップの代理を
無茶無茶なお願いをする。どうも、ありがとうございました。
6/27
ほぼ急性の症状は消失する。
原因菌を同定し、細菌性髄膜炎で確定。
6/29
一般病棟(HCU)に移る
7/1
髄液検査2回目。
結果は改善しているが、抗生物質を継続
このあたりは、ちょっと調子が良く、コーヒーを飲めるくらい回復。
7/2-
ちょっと頭痛と微熱が続く。
7/8
髄液検査3回目。
結果が悪化。抗生物質を変更。血液検査で免疫機能の低下が確認。
7/9
頭痛が継続、40℃近い高熱が出るようになる。
7/15
髄液検査4回目。
頭痛の高熱は続く。維持液の点滴が復活。
7/17
薬剤性腸炎の発症を確認。抗生物質を止められないため、新たな抗生物質を追加。
7/21
髄膜炎用の抗生物質の投与を完了。
7/22
髄液検査5回目。ほぼ正常範囲。
7/24
この日以降、あまり高熱が出ないようになる。
7/27
血液検査の結果、炎症の状態、免疫の状態ともにほぼ正常値。
微熱のみになる
7/29
髄液検査なし。
7/31
血液検査正常値。
8/3
退院
8/6
暑すぎて、外に出られない(←いまここ)
今回かかった病気は、感染性髄膜炎という、脳の近くで感染症を起こす病気です。今回は、脳炎も発症したので中枢神経に関わる症状が起こったわけですね。
脳の近くの感染症なので、通常の量の抗生物質を投与しても十分な量が届かないため、通常よりはるかに大量の強力な抗生物質を投与します。耐性菌を発生させてしまうと大変なため、期間も長めになります。
そうすると体内の細菌バランスは大きく崩れ、普段では悪さをしない細菌が感染症を引き起こすことになります。こっちは、高熱が出て体力を奪うので、どっちのバランスもとりつつ治療を続けなければならない、というのが、入院が長引いた理由ですね。なにごとも予定通りにはいかないもんです。
入院中は、主治医、看護師のみなさんをはじめとする病院のみなさま、クライアント、コミュニティのみなさま、そして家族に、大変お世話になりました。もうちょい、戻るには時間がかかりますが、引き続きよろしくお願いいたします。
P.S.
「原田さんと、こんなに普通にしゃべれるようになるなんて、最初は思わなかったですもん」という理学療法士さんの言葉になにげにびびっています。もうちょい体に気を付けましょう。
P.S.2
入院の結果として、いくつかの登壇予定をすっぽかしてしまいました。大変ごめんなさい。可能であれば、次回埋め合わせできればと思っております。